・ヒュンケルの性格、本質って?
さて、まずはパーフェクトブックの記述を見ていきましょう
闘志‼絶望をも超える不屈の魂‼
絶大な戦闘力を誇るクールな戦士・ヒュンケル!仲間への想いと、正義への償いの心が彼を戦場へと駆り立てる。その生命あるかぎり、倒れても立ち上がる不死身の男だ。
性格:クールな自信家。内面的には多感で繊細な部分もあるが表に出ない。
名場面:マァムの慈愛の心に打たれ、自らの悪の心を悔い改めた。魂を救われ改心。
(パーフェクトブックより)
・相反する特質、救われた心
本質的には「感情が豊かで、心がゆれ動きやすい感情などが細やかで、デリケート」
「でも表に出ない」が瞳や声に出ているよねと。
表にあるのは冷静さと自信。
魔王軍時代は能力、など、自分が手にしているものを誇るは「客観的評価」に基づく肯定感情のように思う。
だからこそ野良犬といわれて怒るわけ、魔王軍ってそういうところだもんね。
自分から見た「絶対的自己肯定感」とは異なる。
表に出ない内面がそれを肯定できる感性を持っているのだけど。当初は隠している。
というか親への愛ゆえにそれを奪った人間への憎しみ、恨みで押し殺していたのだろうな。
ごくえんをみると子供の時とても繊細な様子も見える、迫る戦火にや親を失った際に隠してしまったのかなと。
でもモルグに「おやさしい方」と言われたり。隠していても死んではいなかった。
その隠した心をマァムは救った。
彼が救われた魂はその内面だったようにも思う。
梶さんのアフレコではここをどう表したのかというと
※2「無理やり魔に染めていた自分から、人間の心が生まれてくるようなイメージを意識しましたね。「…聖母だ…」とマァムに向けた一連のセリフに、そのときの心情がとくに強く表れていると思います」。「ヒュンケルはただの悪人ではない。それこそマァムのように、最初から人間らしい慈しみや愛情を持っていたんだ」
その内面の表出のクライマックスが、「さよなら、マァム」だったのだと思う。
だからあの時の彼の眼と声は内面がでていたところと思う。
穏やかな優しい青年がそこにはいた。最後だからだせたのか。
最後に声をかけたかったけど、連れていかれそれもできず。でも助けられて満足そうな、
でもこの先助けられない、会えない寂しさ。そんな秀逸の場面でしたが。
乗せられた声はとても見事でしたね。
参考
※1アニメでは「ヒュンケル様はお優しいかた」はカットされています。
個々のカット理由ですが2つ側面があると思う
①ここだけを取り出して弱い人物というような証拠にされていたところがあった
②ここで説明のため、ヒュンケルの内面についてを言葉にするよりも、のちの牢獄で最初にマァムがヒュンケルに聞いた方が
お父さんの話で察してもらった方が流れとしてよかったという判断かなと個人的には考えております。
※2第9回:梶裕貴「ヒュンケルの持つ繊細さ、弱さ、優しさ。本質を大切に」2020年12月26日分 より
ライブドアインタビュー(決着の時放送直後に公開)
ヒュンケルのお芝居はどのような点を意識していましたか
基本的には、養父ゆずりの"騎士道精神"を大切にしたいと考えています。ですが初登場時に限っては、ドラマ上、視聴者へのミスリードも考慮しつつ、復讐に燃え自分を見失いがちな、彼の"青臭さ"を意識して演じていました。地底魔城でのダイとの決着後は、無理やり魔に染めていた自分から、人間の心が生まれてくるようなイメージを意識しましたね。「…聖母だ…」とマァムに向けた一連のセリフに、そのときの心情がとくに強く表れていると思います。収録も、本番テイクで一発OKをいただいたものの……自分でもう一度そのシーンを反芻したときに「今のでは足りないのでは?」と思ったんです。「ヒュンケルはただの悪人ではない。それこそマァムのように、最初から人間らしい慈しみや愛情を持っていたんだ」とストレートに感じられるぐらい毒気を抜いたお芝居を、この段階で提示しておいたほうがいいのでは、と。
そこで、僭越ながら自らリテイクを申し出て、違うパターンでも演じさせてもらったところ……「こちらで行きます!」とスタッフさんに言っていただき、嬉しかったですね(中略)たしかに、さじ加減が重要なセリフですよね。
当初のヒュンケルの原動力は“育ての親への愛”ですし、自分を生かしてくれたミストバーン(CV:子安武人)への恩義なども少なからず混じっていて。非道なイメージの強い初登場シーンではありましたが、振り返ってみると、やはり彼はすごく情に厚いキャラクターなんです。